第4回 哲学甲子園 受賞作品

佳作

「死ぬことへの恐怖」 笹川 芽奈 氏(14歳)

 私はよく死について考える。死ぬことは恐い。ではなぜ恐いと感じるのだろうか。私が死んだら悲しむ人がいるのだろうか、死んだら笹川芽奈という記憶は消えてなくなるのだろうか。死後の世界を考えることはキリが無い。地獄が本当にあるのかどうかは誰にも分からない。教えてくれる人もいない。だからこそ皆、死にたく無いはずだ。死ねば幸せだなんて考えは普通、浮かばない。だが、一度だけ死んでみようかと考えたことがある。小4の頃に急に私の中に湧いてきた好奇心だった。包丁で自分の腹を刺そうとしたが刺すことはできなかった。痛みを伴うことを理解していながら自分から痛みを伴う行為をするなんて自分にはできなかった。「刺すことができないなら飛び降り?」そんな考えも呆気なく打ち砕かれた。好奇心よりも恐怖が勝ったからだった。その頃から「死」は恐いと感じるようになった。今では考えすぎてしまう。「もしかしたら明日誰かに殺されるかもしれない」「不慮の事故に遭うかもしれない」そう考えると、生きている意味さえも考え始めてしまい、私自身が「私」を失う。
 生きている意味とは何か。皆、何か生き甲斐がありその生き甲斐が原動力となり生きている。そして、人それぞれ生き甲斐を探している。「彼女のために」「仕事のために」「金のために」私は生き甲斐こそが生きている意味だと考えている。生き甲斐がなくなったら死んでもいいことになるのだろうか。それはありえない。生き甲斐がないなら、また探せばいい。生き甲斐がないことが命を投げ出していい理由にはならない。生まれてきたから生きている。それもある意味生き甲斐になるのかもしれない。
 「死」が恐いと感じる理由は、死ぬことを恐れている反面生きていくことも恐れているからだと思う。これからの人生、何が起こるか誰にも分からない。中3になってから、これからの人生を考え始めている今だからこそ自分の進路が分からず今まで以上に死ぬことを恐れているのかもしれない。「死」の恐怖は、未来を細やかに見据えはじめると、より一層増すのだ。
 これから先何が起こるか、分かってしまえばきっと死ぬことを恐れずに生きていけるのだ。だが、未来を見ることはできない。これからも私の中の「死」の恐怖は消えないと思う。それに伴って生きていくことへの恐怖もきっと消えない。だが、死ぬことが恐くないと感じる時を探して、死をむかえたい。これからは「死を恐れない人は何を感じているのか」を新たな問いにしてこれからも「死」と生きていくことについて考え続けたい。
(ささがわ・めいな)