(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞

講 演

2024年3月27日

第17回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞 受賞記念講演

「暴力に抗して」

永井 玲衣

永井玲衣

この度は、第17回「わたくし、つまりNobody賞」という大変栄誉ある賞をたまわりまして、誠にありがとうございます。また、このような贈呈式を設けてくださったことに、心から感謝申し上げます。

わたしが哲学を志すきっかけになったのは、ジャン=ポール・サルトルの『実存主義とはヒューマニズムである』という講演録に出会ったためです。かれは、興奮する聴衆をかきわけ、両手をポケットにいれたまま、ノートも見ずに自分の言葉で話したといいます。かれの言葉に心をふるわせ、哲学の道にはいり、今こうしてここに立つことができています。彼にならって、ポケットに手をいれながら話したいのですが、わたしにはまだ道遠く、手紙をよむように、みなさまに言葉をとどけたく思います。

この暴力の時代に、ひたすら考え、言葉で表し、それをひとつの表現形式へと高めようとする営みに価値をおくこの賞を いただけることの意味を、考えています。

わたしは主に哲学対話と呼ばれる場を、さまざまなところでひらいています。学校、企業、美術館、路上、ライブの合間、デモの場でやることもあります。そこでは、つどった人々の問いをききとるところからはじまります。ずっと気になっていた問い、もしかするとどうでもいいと思って押し込めていた問い、ひとりでは担いきれない重い問い、それらをききとっていき、じっくりと深めていくのです。そこで生まれた言葉たちは、生きています。どうしてもそれらを忘れてしまいたくなくて、わたしは書くということをしているのだと思います。手渡されたものを、さらに手渡しておかなければ気が済まないと思うのです。

幼いころから、世界をよく見るとはどういうことなのかということが、わたしの関心ごとでした。あまりに奇妙で不条理なこの世界を、いかに生きることができるのかという切実な問いをどこかで隠し持っていたといえるのかもしれません。わたしは哲学書よりも、文学や詩に育てられました。詩人たちの、世界を見る「目」をわたしは追いかけました。

ただ、一方的にまなざしを向けることは、傲慢さでもあります。まなざしの相手を凝固させ、認識のもとにおくことができると錯覚することができます。世界と関係するために試みたことが、世界とわたしを切り離すあやうさをもちます。

哲学者、メルロ=ポンティはこのように書いています。
「哲学はおのれの足下に世界をうずくまらせているのではない。哲学は局部的な視角いっさいを網羅する「より上位の視点」ではない。哲学は生の存在との接触を求め、そのうえ、そこを決して立ち去らなかった人々から学び取っていく。」

わたしは哲学を志すようになったとき、自分の足元に世界をうずくまらせることはやめようと思いました。だからこそ、わたしは世界に根ざしながら、世界をよく見ることは可能なのかという問いにひらかれることになりました。たえず寄せてくる、ままならなさにどっぷりと身をひたし、触れること。それはわたしにはとても可能とは思えないままに、ひとりで試みられました。

ですが、今思い返しても、それは不十分な試みでした。わたしは現実よりも、本のほうを「ほんとう」にしていました。生々しい他者の手触りよりも、やさしくそばにいてくれる文字のほうが、ずっと心地よかったのです。わたしはみなさんが思っているよりも、ずっと臆病でした。

この活動も、決して意欲的にはじめられたものではありませんでした。たまたま友人がわたしをひっぱりだし、異なる他者がつどい、哲学する輪の中に放り込みました。おそろしい経験でした。息が詰まるような、不格好な時間が流れていました。言葉は行き詰まり、目はますます閉じられるばかりでした。ただ、「他者論」を研究しようと大学院への準備をすすめていたわたしは、他者のぬるりとした手触りを思い出しました。そうか、これがそうなのか、と思いました。

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